理論・理屈は執着を生む

僕は考えることは大好きです。
「しあわせになりたい」という言葉について
なぜ、
そのように言う人が多いんだろうって考えたんです。


そしたら
「理論・理屈は執着を生む」って出てきたんですよ。


り‐ろん【理論】
個々の現象を法則的、統一的に説明できるように
筋道を立てて組み立てられた知識の体系。
また、実践に対応する純粋な論理的知識。
「―を組み立てる」「―どおりにはいかない」


り‐くつ【理屈/理×窟】
1 物事の筋道。道理。
 「―に合わない」「―どおりに物事が運ぶ」
2 無理につじつまを合わせた論理。こじつけの理論。
 へりくつ。「―をこねる」


以前から
「しあわせになりたいと願っている間はしあわせになれない」
そう思ってます。


しあわせを勘違いしている人も多いですよね。
自分にとって良いことがしあわせだと思っている。
楽しいことがしあわせで苦しいことは不幸だと思っている。


しあわせって理論・理屈ではなく心なんですね
「しあわせはいつも自分の心が決める」
って言うじゃないですか。


こんなこと考えてもしょうがないよね。(笑)


そこで
自分自身を体の中の一つの細胞として考えてみたんです。
体の中の一つの細胞は
存在するだけでしあわせなんですね。
自分の役目を全うすることが出来ればしあわせなんですよ。


でもね
自分の役目を全うしないで
お金を稼ぐことに専念するのはしあわせとは言えないと思う。