坐禅で宙に浮く(夢の中です)

久しぶりに記憶に残る夢を見ました。
場所は小高い山の草原の上です。


僕を含めた男三人が輪になって座禅をしていました。
「座禅していると体が宙に浮くって聞いたけど」
「そんな〜どっかの宗教じゃあるまいし(笑)」
「その気になれば出来るんじゃないか?」


互いに負けず嫌いの三人が競い合うように。
「そんな気持ちじゃムリだよ(笑)」
「とにかく頑張ってみよう」


しばらくすると
一人の男性が30センチくらい浮かびました。
僕は焦って何度もジャンプしたけどダメでした。(笑)


ジャンプなんか無駄なことはしないほうがいい。
じっくりと時間をかけて
過去で経験した自分を見るという内観を思い出して。


眠りのような状態になった頃
自分の体が30センチくらい浮いていました。
「え?うそ〜♪」
座禅の姿勢から
スーパーマンのように手足を伸ばしてみたら
地面に落ちてしまいました。(笑)


残りの背の高い男性だけが出来ませんでした。
「なぜ出来ないんだろう?」


場面は草原から大都会の歩道に変わりました。
大勢の人が行き交っている所で向かい合っています。


「どうして浮かぶことが出来たの?」
「僕にもよくわからないんだけどね
自分の中に入り込んだんだよ」


「自分の中に入り込むって?」
「自分の思考と語り合ってすべてを否定するの」
「自己否定するってこと?」
「正しい表現はわからないけど
自分と思っている自分は自分ではないと思うんだよ」


「自分のことを他人のように見るってことなの?」
「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない(笑)」


「それはどのように見ればいいの?」
「自分が好きな人や好きな状況は問題ないけどね
自分が嫌いな人や嫌いな状況は許せないことが多い
それらは自分の思考であって自分を支配しているんだ」


「その思考を止めることが必要なの?」
「思考を止めるんじゃないんだよ」
「思考を止めないのならどう対処すればいいの?」
「思考は無駄だと悟ることなんだよ」


「思考は無駄だとは思えないよ」
「思考は生きるためには大切だけどね(笑)
思考の中にある嫌な人や嫌な状況を思考から抹消する」
(ここで言う内観は鎮圧の解放という
負のエネルギーを発散する作業がありました)


「それでその先はどうなるの?」
「すべてがどうでも良くなる(笑)」
「それだけ?」
「すべてが愛しい(いとおしい)と思えるんだよ」


「よくわからん(笑)」
「自分が宇宙の一部だと実感するんだよ」
「そりゃあ当然のことでしょう(笑)」
「その当然のことを当然と思っていなかったんだよ」
「それを実感してそう思うようになったの?」
「そうだよ」


「そうすると他人も自分も宇宙の一部なんだね」
「好きな人も嫌いな人もみんな自分と同じなんだよ
謝りたい人も誤ってもらいたい人もね」


「じゃあどうすればいい?」
「嫌いな人や嫌いな状況を好きになることよ」
「そんなこと出来るわけないじゃないか」
「嫌いな人が『ごめんなさい』って謝ったら?」
「好きになれないかもしれないけど許せるよ♪」


「嫌いな状況が自分のためにあると思ったら?」
「喜んで受け入れるかも知れない(笑)」


こんな簡単な会話ではなかったけど
気が付いたら周りは暗くなっていました。
ある囲いのフェンス越しに夜景が見えました。
誰かが
「あ!京都の夜景だ」って。


僕たちは何人かのツアーに参加していたようです。
ツアーガイドさんが
「みなさん こちらへ集まってください」
小さな家の前に来ました。


年配の性別不肖の人が家の前で
「どうぞ こちらからお入りください」と。
そして眼が覚めました。


いま思えば
「目覚めよ」とは
思考の自分ではない本当の自分が表に出なさい。
そう思います。
「汝の敵を愛せよ」とは
すべての存在は自分のことのように考えることで
敵を作ってはいけないということだと思う。