自分の中の自分のプライド

個人は将棋で言えば一つの駒と見られることがあるよね。
それが歩であっても飛車であっても無くてはならない存在。
会社の中では従業員は一つの歯車と言われることもある。

駒であっても歯車であっても共通点があるんですよ。
使われている時は必要とされているということ。

必要とされているのならプライドは満たされる。
ところがね・・・
「自分は必要とされていないんじゃないか?」って
疑問に思うこともあるんです。
「自分がいなくなっても代わりはいくらでもいるじゃないか」って。

たしかに自分がいなくなっても代わりはいますよ。
そんなことは当たり前のことなんだけどね。
「自分がいなくても・・・」って自分でそう思ったらどうなる?
自分で自分のプライドを傷つけてしまってるんじゃないか。

自分を大切にするのなら頼られる生き方がいいと思う。

プライドでもどうでもいいプライドが多いよ。
自分の中の本当の自分のプライドを大切にしたいね。