理解という次元と視点と

話が理解できないと
「次元の違う話をしないでよ」と言われます。
理解ができない次元とは何でしょうね。(笑)


AとBさんはコーヒーカップを知らない次元
CとDさんはコーヒーカップを知ってる次元
EとFさんはコーヒーカップを使ってる次元
しかも二人共コーヒーを飲んだ事のある次元


C「茶碗と違ってコーヒーカップはいいよね」
D「僕も見たよ高級品って感じだよね」
A「コーヒーカップって何だ?Bさん知ってる?」
B「いや、初めて聞いたよ」
C「まだ見たことないのか?」
D「じゃあ僕が教えてやるよ」
A「うん、教えてよ」


D「茶碗と違って取っ手が付いているんだよ」
C「取っ手なんか付いていないよ」
A「CさんもDさんも見たんでしょう?」
D「そりゃあ見たさ」
C「俺だって見たよ」
B「じゃあ、何で違うことを言うの?」


見る視点が違うのがわかりますか?
まったく同じものを見ているのに
視点が違うとまったく違うものになるんですね。


E「ところでコーヒーは飲んだの?」
C「カップは見たけどコーヒーは飲んでないよ」
F「僕は飲んだけど苦くて飲めるもんじゃないよ」
E「僕は美味しかったよ」


A「美味しいの?それとも美味しくないの?」
B「美味しさは人の好みで違ってくるからね」
D「それって健康に良いの?」
F「あんな不味いものは健康に良くないよ(笑)」


E「あれは健康に良いんだよ」
F「どうして?」
E「コーヒーはアルカリ飲料だと言ってたよ」
A「そういえば酸化した体には良いと聞いたよね」


E「砂糖を入れて飲むと良くないんだってよ」
F「アルカリ飲料にならなくなるからなんだね」


「百聞は一見に如かず」とは?
百回聞いても一度見た人には叶わないと言うこと。
そして
「百見は一体験に如かず」とは?
百回見ても一度体験した人には叶わないと言うこと。


自分が知っていることがすべてではないんですね。
理解の次元はどこまであるんだろうね。
そして
いろんな視点も身につけておいたほうがいいと思う。