社会の中の自分と社会の外の自分

山の中で自分を見つめて気付いたことがあります。



社会の中での自分は
社会と自分を分離して見るけど

社会の外での自分は
社会と自分は一つとして見る。



人それぞれに生活のリズムってあるんですよね。
毎日仕事へ行くのもリズムの一つと言えると思います。


やってもやらなくてもよい仕事はどうでしょう?
山の手入れをして思ったんです。

お金をもらってやっているわけじゃないし
自分に管理義務があるわけじゃないし
汚い仕事をなぜやらなきゃいけないんだろう?


「自分の生活リズムの中の一つ」だと思えば
「自然の中で自分を活かすことが出来る」
「ありがとうございます」
と感謝の気持ちがわいてくる。



楽な生き方は
日和見 傍観者がいい。
社会と自分は違うと思えば楽になる。

 
日和見(ひよりみ) デジタル大辞泉より
1、有利なほうにつこうと、形勢をうかがうこと。
2、空模様を見ること。また、その役の人。



社会の中の自分は社会の一員でもあるんですね。

社会を良くするも悪くするも自分も関係している。

日和見的な生き方が楽ではあるけど

将来を真剣に考えると

傍観者ではなく当事者として考えて行かなければ。



多くの人は

お金のない社会を考えるとき

今の生活リズムが壊れてしまう恐れを感じるんだろうね。

本当は

自分が納得する生活リズムが実現するんだけどね。