小説の下書きです(51)

幸夫は密かに国連関係のブログに何度も提案投稿していたようです。世間でも話題になっている国連演説は国連本部でも話題になっていた。


掲示板では幸夫の緊急連絡に仲間たちがコメントを入れ始めた「幸夫さん、どんな内容ですか?」「良い話なら良いのにね」「こんなに早く国連からメッセージが来るなんてね」「実はかなり前から国連関係のブログに何度も提案投稿していたんですよ」「そうなんですか」


「それでね、メッセージと言うのが国連でも取り上げたいことなので直接会って詳しくお話を聞きたいって」「え〜そうなんですか。それでいつなんですか?」「僕たちの都合の良い日を教えてくださいって」「すごいじゃないですか。もちろん幸夫さんが話しに行くんですよね?」「そうですね、稔君と一緒に行ったほうが良いと思うんです」


幸夫が「世界平和の提案」の原稿を作って稔が演説をする計画は大きな前進を始めました。
提案が実行に移されるかはまだ未知なるものはあったが提案を発表する場が提供されるだけでも大きな前進と言えるのかもしれない。


数日後幸夫は稔の都合の良い日を国連に伝えた。
そして
その翌日国連から会談の日時が報告された。
幸夫はすぐに了解の返事を送った。


「皆さん、ついに会談の日時が決まりましたよ。稔君の両親も賛同してくださったので話が早く進みました」「それは良かったですね。楽しみです♪」「もちろん提案書の内容についての話なんでしょうね?」「おそらくそうなると思います。提案書の内容に過不足があれば変えるけど僕たちはこのままで通したいと思ってます」「そうですね、小さいことは私たちだけでは決められませんからね。基本さえ伝えれば良いと思いますね」


そしてその日がやってきた。
国連関係者との会談は国連関係の施設の中で行うことになった。国連関係者はすでに民放で放送された録画を何度も見て内容を把握していたようだった。
国連関係者は稔の考え方を確認したかった。わずか「12歳の男の子が世界平和を国連で演説したいなんて」と不思議に思っていたのだ。


それが「国の借金を子供の僕も返さなきゃいけない」という疑問から始まったことに笑いが止まらなかった。会談は始終和やかに行われ快く国連での演説を承諾してくれた。
そして演説の日時は後日知らせてくれるということ、宿泊費や交通費はすべて国連が支払うことなど伝えて会談は終了した。


帰りすがら幸夫は稔に言った「稔君ついにやったね」「はい。少し不安だけど」「何が?」「僕飛行機乗ったことないんです」「そう言うことか。ハハハハ・・・てっきり演説のことかと思ったよ」「演説もだけど僕高い所が恐いんです」「そっかそっか大丈夫僕がそばにいるから」


ともあれ国連での演説が決まった。