小説の下書きです(49)

民放のテレビ局は稔と幸夫を招いて一時間の特別番組を作ることに決まった。収録日時は幸夫と稔の都合に合わせて日曜日になった。


収録前日の土曜日には幸夫は稔を連れてテレビ局の近くのホテルに泊まった。往復運賃や宿泊費は局もちだった。
「幸夫さん、あしたはうまくいきますか?ぼく緊張してきました」「大丈夫だよ。難しい話になったら僕が代わりに言うからね。何も心配しなくて良いよ」「はい、わかりました」


収録日には幸夫はノートパソコンを持って行った。自分たちの活動内容がすべて入っているからである。
撮影は10時から始まった。ローカルテレビの取材とは違って大きなスタジオの中に数人のコメンテーター、ひな壇には50人くらいの視聴者代表などがいた。


スタジオには大きなテレビモニターがあり、あらかじめ作られたビデオが流されるようになっていて、話題に応じてビデオを見ながら話が進められた。


一番論議がされたのが戦争や紛争が多い地域で平和活動が可能なのか?
お金の要る世界の中でお金のない世界に混乱は起きないのか?
インターネットで多くの人と議論してきたことがスタジオの中で再現された。
やはり、国際支援団の活躍が全員の興味を引いた。
全人類の代表者たちが一緒に行動するからである。


午前中の収録は12時に終わり、一時間ほど休憩に入った。
「幸夫さん稔君お疲れ様でした。昼食は局の食堂で自由に食べてください」とスタッフが食券を二人に渡しながら言った。


昼からの収録は13時半から始まった。
午前中の侃々諤々の議論に打って変わって世界平和やお金のない世界の良いところや疑問などが話し合われた。
とくに経済学者の理論が視聴者代表たちを納得させることが出来なかった。
彼らは人間社会にお金の必要性を感じなくなっていた。


お金の要る社会とお金のない社会の比較をしたとき進化を感じ取っていたのである。
いままで「21世紀型世界」を社会学者や政治家が言ってきたことと明らかに違う。
そういうことがわかった時点で司会のアナウンサーが締めくくった。


「皆さん、きょうは長時間ご苦労様でした。稔君が国連で演説したいという熱意もわかりました。視聴者の皆さんにも伝わったと思います。世界平和とお金のない世界の素晴らしさもわかりました。温暖化も解決し、戦争も貧困も難民も無くなる世界も実現するかもしれません。私たちはこの提案に大賛成です。世界が平和になり新しい文明社会が実現するように祈って終わりにしたいと思います。ありがとうございました」


収録は16時に終わった。収録した番組は1週間後に放映されることを伝えられた幸夫と稔はテレビ局の売店でお土産を買って帰途に着いた。