ふと思ったこと(272)

>池の中に石を投げたことある?
ちっちゃな石はかわいい波紋
でっかい石は大きな波を作って波紋ができる
意見を言うことを「一石を投じる」と言います
僕が投げた石はちっちゃい石かもしれない
でもね
投げたくなることってあるよね
それが無駄かもしれないと思っても
 
 
不耕起栽培の米作りの話です
田んぼを耕さない稲を刈ったあと冬の間
田んぼの中に水を入れて虫を増やす
そして
鳥がきて糞を落とす草は生えにくく土が肥える
手間が省けるし土が固いから稲の根が強くなる
稲が野生化するんだって
耕すと過保護に育つから
弱い稲になり冷夏や台風に弱くなる
野生化の稲は
冷夏や台風に強く化学肥料も農薬も要らない
ほったらかしで健康な稲が育つんですね
本当はほったらかしじゃないけど自然と共存の農法だよね
何でも過保護は良くないな~
じっと見守る勇気も要るね
子育てに通じることが多いです
 
 
>昔は
お風呂もご飯炊きもみんな木を燃やしていた
だから
どこの家からも煙がモクモク上がっていた
昔は木と和しかなかったから
燃やしても大丈夫だったのかな?
昔良かった事が今では良くない事に変わったね
良い物と悪い物の区別が難しくなった
悪い物ほど便利なような気がする
 
 
>「頑張らなくてもいいんだよ」
ってよく耳にする
やりたく無い時の
「頑張らなくてもいいんだよ」
はうれしいね
頑張るって
本当はすばらしいことなんじゃないかな?
やりたくない事やらされていると思う時
それは本当の頑張りじゃないような気がする
やりたくない事も
「いい体験をさせてもらえる」と思えば
体験は人生の素晴らしい財産だから
頑張る気持ちが喜びに変わるんだろうと思う
頑張ることをやめさせないで
頑張ることを喜びに変えることを伝えた方がいいと思う
すべての頑張りがそれで良いのかは難しいけど
 
 
>人を大切にする・物を大切にする
「愛」の表現の一つだと思う
 
 
>理想の自分になるための努力の仕方は人それぞれだけど
料理に似てると思ったことがある
レシピはみんな同じでも味がチョット違うんですよ
みんな理想の自分を求めて頑張ってる
 
 
>理想に近づくほど自分が変化するから
今の自分は今の自分じゃあなくなる
「悟り」ってむつかしい言葉があるけど
「差取り」って読み替えてもいいらしい
理想の自分と今の自分との差が無くなるんだって
目標へ到達した時
「これがそうなんだ~」って気付く
これも一つの悟りだと思う
 
 
>それでいいんだ・いやそれじゃいけない
今のままでいい・いや今のままじゃいけない
自分の中で葛藤した事無いですか?
新しい事を考える時
「今を肯定するけど否定もする」
 
 
>最良だと思った事でも
時間と共に最良じゃなくなる
何でか分からんけど
意見がコロコロ変わる時もあるけど
意見が変わってもいいじゃないかって
思うこともある
 
 
>時代と共に正しいことや常識は変化する
天動説が地動説に変わったみたいに
今言ってること10年後どうなると思う?
「変だよ」って否定してても
「当たり前よ」って肯定するかもしれない
いつも
肯定と否定の二通りの見方が要るような気がする
僕が言ってることは間違ってるかもしれない
でも今は正しいと思って語ってる