小説の下書きです(45)

取材を終えた稔は早速インターネットを開いてみんなに報告メッセージを書いた。
「みなさん、やっと取材が終わりました。緊張して何を話したか覚えていません(笑)きょうは疲れたのでもう寝ます。放送は3日後の夕方だそうです。何分放送されるかわからないけど録画しておきます。おやすみなさい」


そして数分後稔が電源を切ったあと仲間たちからコメントが書き込まれた。


「稔君ご苦労様、ゆっくり休んでね」「稔君やったね、放送が楽しみだね。お休み」「稔君の勇気に励まされるよ。ありがとう。ゆっくり休んでください」「みのるくん、おやすみ〜♪」


翌日学校から帰った稔は宿題を済ませパソコンに向かった。
電源を入れて掲示板を見ると仲間以外にも多くの人たちのコメントが書かれていた。嬉しくなった稔はコメントを書いた。
「みなさん、こんにちは。たくさんのコメントありがとうございます。とっても嬉しいです」


放送当日の朝、稔はお母さんの声で目が覚めた。
「みのる〜起きて、新聞のテレビ欄に載ってるよ『12歳の少年が国連で演説』って」「え〜?」「まだ決まってないのにね」「なんだよ、?マークが付いてるじゃないか」「あらホント」


学校では稔のテレビ出演の話題で持ちきりです。
先生が「今日はみんなでしっかり見ようね」と言ってくれた。


ついに放送時間が訪れた。
稔は放送時間の5分前からDVDの録画を始めていた。仲間との約束で録画を忘れないように。
番組が始まった。稔の出番はすぐではなかった。県内のニュースや天気予報があって身近な話題のコーナーが始まった。コーナーのタイトルは「12歳の少年が国連で演説!?」新聞のテレビ欄と同じタイトルだった。
これが女性リポーターの精一杯の応援だったようです。


映像は家に入る前から始まって玄関に入ると母親に挨拶。「あ〜恥ずかしい」とお母さんが顔を押さえながらテレビの前から台所へ逃げた。
映像は二階へ上がって稔の部屋へ、部屋の中を映し稔の紹介から本題に入った。


国連で何を演説するのか、演説することになったきっかけは何なのか、それをわかりやすく稔に質問するレポーターの印象がさわやかさを与えた。
そして、放送では世界平和の提案書がナレーションで紹介された。


終盤で稔の将来の夢などを聞いて終わった。
わずか5分の出来事だった。


「もう終わったの?」「うん」「二時間近く取材してたった5分なのね」「そんなもんでしょ?」「でもわかりやすかったわね」「うん」


稔の初テレビは大成功に終わった。
稔は安堵感と恥ずかしさと物足りなさを感じた。
この電波は地元しか届いていないことを。