なつかしく思える死の予感

以前の日記にも書いたと思うけど。
今働いている会社にいながら会社のビルや
会社のトラックを見てなつかしく思った時
半年後くらいで会社を辞めているんですよ。

今の生活をなつかしく思うようになったら?
自分の死が半年後くらいにやってくるんじゃないか?
自分にしかわからない予感と言うものでしょうかね。

有名人や尊敬する人と関わりがあった時
思い出の品物は自分にとって大切なものになりますよね。
その人たちが亡くなった時は遺品になります。

近頃お手紙を書く回数が増えてきました。
自分の字がきれいに見えたり汚く見えたり。
時々思うんですけどね・・・
僕の字が「なつかしく思える」時があるんですよ。
「これはマー坊さんからの手紙なんだ」って。

むかしある会社で言われたことがあります。
「マー坊さんは死んでから評価される」って。

僕以上に活躍されている人は何万もいます。
すべての人はそれぞれに役目があるんですね。
いつ死んでも良いような生き方をしたいです。
「やるだけのことはやった」ってね。

僕には何の財産もないから遺言書は必要ないけど。
僕のブログが遺言書になると思う。
僕の魂からのメッセージだから。

数日前から左の肩甲骨が痛いです。
痛みが和らいだり痛みが左腕まで広がったり。
僕の前世は何なのかわからないけど。
まるで槍か剣で突き刺した感じみたいです。
何かとり付いているかもしれないと思って
波動転写器で気回しを何度もやってみたけど効果なし。

竹取物語かぐや姫の話が頭の中を巡るんです。
いろんな説の中で「かぐや姫は囚人だった」っていう話。
「ひょっとして僕も囚人だったの?」って思ったりして。(笑)

人間として生まれたのは「地球へ来た」とも思えるしね。
そして「死ぬのはふるさとへ戻る」とも言えるし。

こうやって書いてるうちに痛みがほとんど無くなりました。
不思議ですね。
誰かのメッセージが痛みで教えているんでしょうか?
わからん。

余生って考えてみました。
余分って必要以上のものが余った部分ですよね。
命も人生も余分って無いと思う。
余生って自分の人生の余った部分じゃないんですよね。
肉体に命が宿る限り「自分を生き切る」ことですよね。
本当の自分が生きたいように。