情熱が燃え尽きる時

情熱=
ある物事に向かって気持ちが燃え立つこと。
また、その気持ち。

情熱の話なんだけどね。
気持ちが燃え立つことを情熱と言うんだって。
情熱は時間とともに
気持ちが燃え尽くしてしまうと思うよ。

もう何年も前に死んだお爺さんの話なんだけどね。
お爺さんがまだ元気だった頃
僕が環境蘇生化運動を熱く語った時です。
お爺さんは冷静に「がんばって」って言いました。

お爺さんは永年の警官務めをやめて無農薬農家になった。
そして無農薬のお米や野菜を知り合いに売っていました。
徳を積む生き方を多くの人に伝えていきました。
政治家を目指した時もあったけどね。

多くをやり尽くすと何かが変わるんですよ。
挫折感を感じるのかもしれないし無力感かもしれない。
「どうにでもなれ」って思ってはいないんだろうけどね。
「どうにもならない」と思うのかもしれない。

数日前から僕が集めた資料を整理していたんです。
環境蘇生化運動の古い資料をすべて処分しました。
燃えるゴミ袋4袋分でした。
約20年分です。

あのお爺さんの気持ちがなんとなくわかる気がします。
環境を良くしたい。
病気の無い世の中にしたい。
すべての農家に無農薬野菜を作って欲しい。
すべての人に徳を積む生き方をして欲しい。

僕と話が合って一緒に飲んだことがあります。
目に見えない大きな壁があることに怒っていました。

目に見えない大きな壁って何だかわかりますか?
国でも政府でも財界人でもないんですよ。

「わたしが変わったからって世の中変わらないよ」
「環境に良いものを使ってもみんなが使わない限り
環境が良くなることはないよ。だから使わない」
「無農薬野菜は高いからスーパーで安いのを買うよ」
「理想や夢を持っても現実は簡単に変わらないのよ」

そうなんです。
大きな壁は身近な人たちなんです。

情熱はいつまでも持ち続けることは出来るけどね。
燃え尽きてしまうことが多いんです。
「どうにでもなれ」って思ってはいないんだけどね。
「どうにもならない」気持ちが強くなるんです。
でもね
継続すると
「どうにかなる」って期待感もあるんですよ。

僕は草刈が好きです。
田んぼの周りや栗畑の中やあぜ道の草刈です。
地球と共に生きるって実感するんです。
「全体のために今を生きる」って思えるんです。

「あるがままを生きる」ってあるがままを生きる。
何かをしようとかしないことかもしれない。
環境運動も自分が出来る範囲で良いのかもしれない。
草刈の時そんなことを考えていました。