なぜ命令を聞くの?

5月に入ると田植えの準備と草刈が多くなってきました。

僕は女房の実家の米作りを手伝っています。

義母が生きていた頃は義母はよく命令を言っていました。

都合が悪く行けなかった翌日は

「なんで来んかった、草を刈らそうと思うちょったのに」って。

そんな時いつも女房は

「草を刈ってもらう立場でしょうが」と義母を叱っていました。



義母はお願いを命令調の言葉になるんです。

僕はそれを知っているから腹も立ちませんでしたけどね。

命令に似た言葉に「依頼」と「お願い」があります。



>命令(大辞林 第三版より)
1、行うよう言いつけること。
上位の者が下位の者にある事をするように言うこと。
また,その内容。


>依頼(大辞林 第三版より)
1、他人に用件を頼むこと。
2、他人に頼ること。


>願う(大辞林 第三版より)
1、神仏に,望みがかなえられるようにと請い求める。祈願する。
2、他人に対し,こうしてほしいと頼む。
3、自分の気持ちとして,こうなってほしい,こうあってほしい,
  と強く思う。望む。


同じ行動なのに何が違うんでしょうね。

今は義兄が僕に「草を刈って」と依頼します。

義兄は遠慮がちなので僕は自分から進んで仕事をします。



一人では出来ない仕事は誰かにお願いしなければいけない。

それが

命令に聞こえるか? 依頼に聞こえるか? お願いに聞こえるか?



命令も依頼もお願いもされたら、要望に応えようと頑張ります。

相手が喜んでくれたら嬉しいものです。

「ありがとう」と言われると幸せな気持ちになります。




以前、農作業をしている時思ったことなんですけどね。

「誰にも頼まれてもいないのに農作業は出来るのか?」ということ。

誰かに必要とされていると思えば頑張れるんですけどね。



そんな時、理論付けをやめると変化が起きます。

自然の中にいるとそこに住んでいた過去の人たちを感じるんです。

草を刈っていると心地よい風が吹いて気持ち良くさせてくれます。



まるで

「ありがとう、私たちが出来るサポートをさせてもらうよ」

そう言ってる気持ちになるんです。

あの命令調の義母も応援してくれているようです♪



気持ち次第で見えない世界も感じるのかもしれませんね。